至誠の精神を貫いた武将・楠木正成とは⁉️|関西ハイキング(神戸市中央区)
武将・楠木正成
鎌倉時代末の動乱期を駆け抜けた武将❗️
豪族の家に生まれた正成(生年月日は不明)は、12歳の時に初陣に勝利し16歳で兵法書を学び取るなど若くして才能を発揮しました
正成が天下に名を轟かせたのは37歳の時
後醍醐天皇に忠義を誓い失政が続く鎌倉幕府の打倒を目指したものの
天皇はとらわれ島に流されてしまいます
窮地に立たされた正成が打開策としてとったのが
河内の国・千早城での籠城戦でした。
幕府軍を相手に奮闘し
その忠義を貫く心に各地の武士が奮い立ち参戦
ついに鎌倉幕府を滅亡へと追い込んだのです❣️
しかし、戦いの報酬が目当てだった武士も多く後醍醐天皇に不満を持つものも…
これらをまとめ上げたのが鎌倉幕府側の武将であった足利尊氏(あしかが たかうじ)
尊氏は九州で挙兵し京都へと進軍
動きを察した後醍醐天皇は正成にわずかな戦力で迎え撃つよう命じたのです❗️
決戦の地となったのが神戸湊川のあたり
正成軍が陣を構えたのが会下山(えげやま:現在の会下山公園)
圧倒的な戦力の差の前に術はなく
ついに湊川神社の社殿西側の地で命を経った(1336年7月4日)
見返りを一切求めず国への思いから後醍醐天皇に忠義を尽くした楠木正成公
その真っ直ぐな志を偲び今でも参拝する人はたくさんいます❣️
至誠の精神
楠公さんは「智・仁・勇」の三徳を兼ね備えた聖人
知=奇策・知謀を持った武略
仁=敵も味方も愛する命を救うという仁愛・博愛
勇=貫き通すことができる実行力
この「至誠の精神」が700年近くにわたって人々を感動させてきました❗️
湊川神社の社殿の左手にある木立の中には
正成の戦没地があり正成公終焉の地として伝わります❗️