住吉川流域の遺跡を巡る❗️|関西ハイキング(神戸市東灘区)
住吉川流域の遺跡
縄文時代の遺跡は、岡本7丁目で竪穴住居を発見❗️
弥生時代になると、本山・御影付近の平野部に加え
森北町・荒神山・赤塚山・金鳥山などの丘陵地にも集落が作られました
銅鐸(どうたく)の出土の多いところとしても有名で
渦ケ森・森・生駒では丘陵上から見つかり
本山では平野部からも出土しています❣️
古墳時代のものでは
東求女塚古墳
葦屋の菟名負処女(あしやのうなひおとめ)をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚
として古くから有名
伝説では、菟名負処女をめぐって争った信太壮士(しのだおとこ)の墓だといわれていますが、実際はこのあたりを支配した豪族の墓であろうと考えられています
墳丘のほとんどは土取りによってありません
前方部を北西に向けた全長約80メートルの前方後円墳
出土した遺物は、銅鏡、車輪石、剣、玉など
現在は東京国立博物館に保管されています
古墳の作られた年代は4世紀後半と考えられています❗️
住吉宮町遺跡 (すみよしみやまちいせき)
東灘区住吉宮町付近に広がる、弥生時代から室町時代まで続く遺跡
遺跡は、東を流れる住吉川や西を流れる石屋川によって形成された扇状地の上に立地
昭和60年に発見されてから発掘調査が行われ、地下2〜4メートルの所から多くの遺物とともに、中世から奈良時代の建物跡、古墳時代の竪穴住居跡、古墳・弥生時代の墓地などが見つかっています
住吉東古墳
JR住吉駅前のシーアの駐車場で、帆立貝の様な形をした古墳が発見され
「住吉東古墳」と命名されました❗️
全長24メートル・高さ1.5メートルのもの
近世以降の時代
近世以降、農村であった東灘地区は京都大阪に通じる街道筋にあたり
産業として「御影石の切り出し」「水車業」「酒造業」が盛んに行われました❗️
御影石で有名な六甲山は、良質の岩石・花崗岩が数多く産出されることから
荒神山、重箱山、五助山などに採石場が開かれました
江戸時代から昭和初期まで多くの水車小屋が建ち並び
水車の動力を活用した「菜種油の油絞」「酒造の精米」「素麺の製粉」も行われていました
電気の普及や水害・震災により、当時100基近くあった水車は今では姿を消しましたが、水車のモニュメントが復元「灘目の水車(なだめのすいしゃ)」(神戸市東灘区住吉山手4-1-26)され、実物代の水車を見ることができます❣️
住吉の地名の由来
「住吉」の地名は、住吉神社が祀られていることからその名がついています❗️
全国各地にある住吉神社はこの神社の摂社・末社で
この住吉神社は本住吉(もとすみよし) 神社とも呼ばれます
毎年 5 月には地車(だんじり)の巡行が行われ
「東灘だんじり」の祭りの一つとして親しまれています❣️