闘鶏(とうけい)神社|関西ハイキング(和歌山県田辺市)
熊野三山の別宮的存在で419年に創建❗️
社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史をいまに伝える貴重な場所です❣️
※闘鶏の由来
その昔、源氏と平家の壇ノ浦の戦いの時に、源氏軍と平家軍の両方から熊野水軍に援軍の要請がありました。そのとき熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の統括であった武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)がどちら側につくかを迷っていました。そこで2人は神の意思を確認するために神社の前で赤の鶏を平家、白の鶏を源氏とみて七番の闘鶏を行いました。結果は白鶏が全勝となった。この結果を受けて湛増は源氏方への加勢を決定し、熊野水軍の大活躍もあり壇ノ浦の戦いは源氏方の勝利に終わりました。