関西ハイキング

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『ガス灯』が照らした神戸旧居留地の街|関西ハイキング(神戸市中央区)

 

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明治時代に神戸のまちを照らした『ガス灯』

神戸で初めてガストが設置されたのは外国人居留地で、94基が1874年11月から点灯しました。ただし、ガス会社は外国人による経営だったこともあって、当初は居留地以外にガスの供給はできませんでした。

そのため居留地以外でガス灯が設置されたのは、神戸瓦斯株式会社がガスの供給を始めた1901年以降となります。

その後、ガス灯は各所に設置されましたが、タングステン電球(フィラメントにタングステンを用いた白熱電球。1908年にアメリカのクーリッジが発明。)が登場したことで、大正時代(1912年〜1926年)の末期にはその数は激減しています。神戸の居留地にあったガス灯も多くは電灯に改造されてしまいました。 

 

今でも神戸市内で見ることができるガス灯

 

「ガス灯」の歴史

照明としてのガス灯器具を最初に製作したのは、スコットランド人のウィリアム・マードックで、1797年にイギリスのマンチェスターにおいてガス灯を設置しています。

19世紀半ばには一般家庭の室内照明としてもガス灯は普及していましたが、ガス灯を使用すると室内の壁が黒ずんだり、硫黄臭やアンモニア臭が発生することもあったようです。また、ガス灯の使用は大量の酸素を必要としたため、酸欠で室内の人にめまいや頭痛を引き起こすこともありました。そこで19世紀半ば以来、電気を利用したアーク灯や白熱電球などの電灯が開発され、1870年代末にイギリスのジョゼフ・スワンやアメリカのトーマス・エジソンによって白熱電球が生み出されました。

日本においては、18世紀頃には既に越後地方において「陰火」(いんか)として天然ガスの存在が知られており、ガスを灯火として用いた最古の記録としては、1855年以前に盛岡藩の医師であった島立甫が、亀戸の自宅においてコールタールから発生させたガスを灯火として燃焼させたことが記されており、また同時期に盛岡藩の医師・鉱山技術者大島高任が水戸藩那珂湊に建設した反射炉の燃焼ガスを用いて照明とした記録や鉱山の石炭ガスを燃焼させて灯火として燃やした例などがある。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)